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おらが「善光寺さん」紹介 (1)
おらが「善光寺さん」
◆ 信州の人々は親しみを込めて「善光寺さん」と呼んでいます。善光寺は全国に200位あると言われ全国の人々にも親しまれているお寺です。おらが「善光寺さん」の多彩な行事を通して、別の姿の善光寺を紹介します。
◆ 03年は4月6日から5月31日まで前立本尊の7年に1度の御開帳が行われました。
◆ 善光寺のご本尊は秘仏であり分身の前立本尊は七年に一度御開帳され期間中本堂に前の境内に45Cm角の長さ10Mの大きな回向柱が立てられ柱と前立本尊右手に「善の綱」で結ばれており回向柱に触れることにより阿弥陀様と縁が結ばれるとされています。
雪の中、本堂に向かう「前立本尊の一光三尊仏」の輿
(※模写したもので実物と異なりますが中央に阿弥陀如来、両側に観音菩薩・勢至菩薩 このような一光三尊仏となっています。)
善光寺案内図
長野駅から善光寺行きのバス「ぐるりん号」で15分 大門町で下車左に大本願の寺院、右に宿坊が並ぶ参道に 入る。
仁王門をくぐり仲見世通りに入る。仲見世通りが 終わり山門へ進む参道の入り口の小さな石橋が 「駒返しの橋」と言い源頼朝が善光寺参詣の際に 馬で乗りつけこの橋に蹄が挟まりここで下馬したと 言う話が残っている。
山門右手前に六地蔵と濡れ仏がある。
左には大勧進の寺院と善光寺御宝庫がある
山門を潜ると本堂となる境内の左に経堂、
歴代の回向柱、爪彫り如来がある。
善光寺本堂
善光寺の創建は644年(皇極天皇3年)と言われているが 不明。創建から11回の火災に会い現在の建物は 1707年の再建。
1553年の川中島合戦の際、戦火を逃れるために仏像や宝物が 武田信玄により甲府の甲斐善光寺に移されている経過がある。
善光寺は参詣者の無宗教の寺で知られており、 善光寺の住職は善光寺山内天台宗の本坊大勧進の 住職(貫主と言う)と善光寺山内浄土宗の本坊 大本願の住職(上人と言う)の2の宗派の寺が善光寺の 住職を務めている。
正面が24m奥行きが54m,「T」字型の 撞木造り(しゅもくづくり)。
開かずの扉
善光寺の本尊は「三国伝来の日本最古の御仏」と言われ 秘仏で誰も見たことが無いとされている。
本堂の裏に回ると開かずの扉がありその中にご本尊が 厨子と一緒に安置されているとか。
善光寺はなぜか「平柴村」
長野市の前身は幾つかの村に分かれていて善光寺の提灯は 平柴村から寄進されており現在もその名残りとされている
善光寺に行かれたら、本堂の正面階段の提灯の後ろをご覧下さい。
「傷の柱」と「ねじれた向拝柱」
左の傷のついた柱は1847年の善光寺大地震の おり上の釣鐘がはずれて柱に当たった跡とされています。
右の「ねじれ柱」は大地震の時にずれたと言う説が あったが現在では柱が狂うのを見込み建築されたからと 言われています。
向拝柱が108本使われている。
堂前の立石
本堂正面の燈篭脇に大きな石があるがこの石のお話。
昔、念願であった善光寺詣に近所誘い合い旅に出たが 信州に入るには厳しい峠越えをしてこなければならず 善光寺を目前に力尽きて仲間の一人が亡くなってしまい 「折角ここまで来て残念な事だ 俺たちが極楽浄土出来る 様にお参りして置くから」と旅を続け善光寺に着て みたら亡くなった筈の仲間が石の上に腰掛けて 一行の来るのを待っていたと言う話がある。
それから善光寺に行くと亡くなった友人に会えると言伝えられている。
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