Top/ 長野/ 安茂里/川中島/今井/篠ノ井/屋代高校前/屋代/千曲/ 戸倉B/ 坂城/ テクノさかき/
西上田/ 上田/ 信濃国分寺/大屋/ 田中/ 滋野/小諸/平原/御代田/ 信濃追分/ 中軽井沢/軽井沢/
<<<Back          Next>>>

■城山公園

★ 荒砥城址
戦国時代の連郭式山城、荒砥城を工法等までこだわって復元。 中世の東北信一帯を治めていた村上氏(自称村上天皇)の支族山田氏が築いた荒砥城址。上山田町の町名の由縁となっている。
★ 善光寺別院
  

■知識寺
智識寺は、室町時代、聖武天皇が冠着山の東麓に天平12年(740)に創建されたという境内に咲くアジサイが大変見事で通称アジサイ寺と呼ばれている。
智識寺の本堂は「大御堂」と呼ばれ当時の建築様式を残しており、本堂と安置されている「十一面観音像」共に国の重要文化財の指定を受けている。
3メートルの「十一面観音像」は、平安後期のもので、一本の木から彫られたもので、全国に3体しかないと言われています。
  

■小石(恋し)の湯・小石(恋し)観音の湯 伝説
戸倉村の「お政」と結婚を約束していた上山田村の「米吉」が江戸に修行に出掛けたが、予定を過ぎても戻ってきません。心配した「お政」は毎日智識寺の霊験あらたかな十一面観音様にお願いしました。  ある日、「お政」の夢枕に老人が現れ若者の無事を告げ、「信濃なる千曲の川のさざれ石も」という歌を知っているかな。」と尋ねました。「はい、存じております。万葉集の「(後歌)君し踏みてば玉と拾はむ」と答えました。老人は「この歌のように恋しいあの人が踏んだ千曲の赤い小石を百個拾えば帰ってこよう。」と言い去りました。
 観音様のお告げだと、「お政」はそれから毎日、河原で赤い小石を探し、九十九個になりました。最後の一個が見つかりません。村の人には馬鹿にされ、それでも恋する人の為探し続けました。7年目の冬の寒い朝、河原に立つと、湯気がたちのぼり温かい湯が流れ出していました。その湯で手足をあたためて足元を見ると百個目の小石がありました。
観音様のお告げどおり、「米吉」はその日、江戸で大工の技を身に付け戻って来ました。以来、このいで湯は「小石(恋し)の湯」と呼ばれ戸倉上山田温泉始まりとされています。  淺川かよ子著「更級埴科の民話」参照

■大正ロマンの架け橋「大正橋」
戸倉地区と上山田地区を結ぶ大正橋は大正にかけられ老朽化され3年前に架け替えられ、大きくとられた歩道に何箇所か水鳥の楽園が観察できる用に休憩場所が設けられています。 又、小石の湯伝説に因んで小さな赤い石が左右の歩道に合計99個貼り付けられています。赤い石を探しながら渡るのも面白いです。後のひとつはご自身で幸せを探してください。
欄干には旧戸倉町と縁があった「竹久夢二」の湯町散策の美人画が飾られています。
  

<<<Back          Next>>>