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「軽井沢駅」 北佐久郡軽井沢町軽井沢
しなの鉄道終着駅
200年前は峠の宿場町だった。善光寺詣での旅人、参勤交代の大名が、一日がかりで碓氷峠を登りきった疲れとまた、これから江戸へ向かう人々でにぎわっていました。
明治になると群馬県坂本へ通じる碓氷新道や鉄道馬車が開通し、それから100年、今では新幹線で10数分で峠越えが可能となり様変わりしています。
軽井沢駅正面口
★接続する鉄道
長野新幹線
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「旧軽井沢駅舎記念館」
軽井沢駅構内に信越線当時の軽井沢駅が記念館として残されて公開されています。
当時の一番線には急勾配をアブト式の技術を採用し横川駅は海抜387メートル の関東平野から、11.2km隣の軽井沢駅の海抜は939メートルと高低差がある山国信州を鉄道が結んだ我が国最初の電化区間で当時の電気機関車や、松井田ー軽井沢間が廃線まで活躍していた牽引用の特殊電気機関車が展示されています。
※アブト式鉄道=レ−ルとレ−ルの中間に鋸状のラックレールをがあり機関車の歯車にかみ合わせ急勾配を上下する方法1963年まで歯車を噛み合わせる独特な音がトンネルに反響させ、ゆっくりとした速度で走っていました。
その後は磁力を利用した新技術の特殊機関車が開発され電車に連結し一気に峠を上下するようになりました。それでも群馬県の松井田と長野県の軽井沢で機関車の連結、切り離しが行われ3〜5分停車のロスが有りその時間を利用とした「峠の釜飯」(駅弁の元祖)が売れました。
現在の長野新幹線は自力で峠を越えられるよう他の新幹線と違う特殊設計がされています。
明治44年当時の信越線 記念館説明看板より
63年までのアブト式機関車 97.9 東小学校にて
廃線直前の信越線 97.9 熊ノ平駅跡にて
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「草軽鉄道」

又、付近には軽井沢と草津温泉を結んでいた草軽鉄道のカブトムシが展示されています。
小学校5年生のとき、遠足に来た際に軽井沢駅で見たものはアプト式の電気機関車と路面電車のように軽井沢の駅前通りを走るカブトムシのような変てこな電気機関車に牽引された列車に驚きました。
大正時代に「草津白根山」から硫黄鉱石の運搬用に使っていたもので、軽井沢から草津温泉までを小さな客車2両をパンタグラフがカブトムシの角のように高く伸びカブトムシの愛称の電気機関車が牽引してゆっくりとした速度で走っていましたが、昭和37年に廃線となっています。
森繁久弥の「山鳩」という映画が草軽鉄道のスク−ル電車(スク−ルバスは僻地の学校にありましたが全国でもスク−ル電車を持っている学校は珍しかった) の山鳩号と山村に咲いたロマンを題材とした映画が廃線直前にテレビで放映されたのを観た覚えがあります。
約60年前のカブトムシに再び会えるとは思っていませんでした。これからも大切に保存をお願いいたします。
(鉄道会社の方針で自然を壊さないよう極力鉄橋やトンネルを作らずに自然なりに線路を敷いたため遠回りになり又急勾配を走る列車は一気に上がれずに何回もスイッチバックして走行しているので乗り遅れたら次の駅に走って行けば間に合ったというエピソ−ドがあります)
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