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■「川中島駅」 長野市

川中島の地名の由来は北側に犀川、東に千曲川がありこの地が中州の中にあるので広域一帯を川中島と呼び実際の川中島町(長野市)は西部の一部に位置します。

 

★八幡原史跡公園  駅より東方へ5Km
440年前の永禄4年の合戦第4回川中島合戦のときに武田信玄が八幡原で本陣を構えた場所である。
◇首塚
この大合戦後、武田方の海津城主高坂弾正が激戦場となったこのあたり一帯の戦死者(6千余人)の遺体を敵味方の別なくあつめ、手厚く葬った塚である。この処置に感激した上杉謙信は、後年塩不足に悩む武田氏に対し、「われ信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」と直ちに塩を送り、この恩に報いたといわれ、乱世に咲いた美挙とほめたたえられた。今でも「敵に塩を送る」の話は諺の様に残っている。
ここから東南へ約180メートルのところにも同じく首塚がある。昔はこの附近にいくつもの首塚があったが、今残るのは二つだけである。(説明板参照)
◇三太刀七太刀之跡
謙信は乱戦で武田本陣が手薄になったのを見て、旗本数騎をつれ信玄の本営を強襲した。馬上より流星一閃、信玄は軍配で受けたが、続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に傷を負った。後でこの軍配を調べたところ刀の跡が七ヶ所もあったといわれ、この一騎打ちの跡を世に三太刀七太刀の跡という。(説明板資料参照)
交通手段:長野バスタ−ミナルより松代行きバス乗車「古戦場入り口」下車  又は川中島駅よりタクシ−
 



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