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「旧三笠ホテル」 バス15分 自転車30分
重要文化財「旧三笠ホテル」は、現存するわが国唯一の木造純西洋式のホテルで、明治時代に日本人職人の手で建てられました。明治39年(1906年)に開業し昭和45年(1970年)に64年の営業の幕を閉じました。
幾何学模様のガラス窓など、デザイン的にも優れていることから、“軽井沢の鹿鳴館”と称せられ装飾や調度品などから古き良き時代の息吹を感ずる建築物として観光のシンボルになっています。

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「旧碓氷峠 」
アブト式鉄道の鉄道遺産
つづら折れの厳しい旧国道18号線沿線(旧中山道)にレンガ造りの鉄道橋が何箇所か見ることが出来ます。
1963年まで使用したアブト式の鉄道跡でアブト式鉄道の鉄道遺産として保存されています。
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「廃線直前の信越本線碓氷峠」
11kmの間に高低差約600mの急勾配は、我国鉄道最大の難所で、当時の電車では自力で走行が出来ないためアブト式の特殊機関車がラックレ−ルに歯車をかみ合わせ牽引走行していました。
1963年、磁力を利用した新技術の特殊機関車が開発され電車に連結し今までの1/2の時間で一気に峠を上下するようになりました。それでも群馬県の松井田と長野県の軽井沢で機関車の連結、切り離しが行われ時間的なロスは有りました。
新幹線開業の前日まで活躍していましたが、この区間はお荷物路線のために「しなの鉄道」誕生とともに廃線になっています。
撮影場所の「熊ノ平駅跡」は、トンネルとトンネルの狭間にあった単線時代、の列車交換用の信号所を兼ねた駅で、1950(昭和25)年6月、駅構内で集中豪雨のための土砂崩壊が発生して熊ノ平駅舎、鉄道官舎等が埋没し、前日のキティ台風の影響で破損した線路の保線工事をしていた国鉄職員や駅員、鉄道官舎に居た家族など50名の尊い命が失われるという大惨事があった場所で慰霊碑と雑草の生えたプラットホ−ム跡だけが虚しさを伝えていました。
左 金沢行きの特急「白山」
右 長野行きの特急「あさま」と上野行きの特急「あさま」のすれ違い、左側に見えるトンネルはアブト式時代に使用のもの
熊ノ平駅跡:廃線の半ヶ月前97年9月中旬 撮影
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「再び碓氷峠に鉄道が!」
06年9月15日の新聞に現在鉄道復興事業財団が、群馬県松井田からテ−マパ−ク鉄道文化村まで約2Kmを旧信越線の線路を利用してトロッコ列車を走せているがそれを軽井沢まで延長する観光専用の列車の営業許可を国土交通省に年内に許可申請を行うと報道されていました。
計画によりますと07年10月営業開始を予定し強力なディ−ゼル機関車が事業財団が所有の特急あさま型車両2両を牽引し1時間10分位で峠越えを行うという。一日3往復走らせ、運賃は1800円程度になる見込み。
再び鉄路で軽井沢から松井田まで結ばれるのも夢ではなく現実になりそうです。
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