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■真田の城下町「上田」
「上田城址」 
上田城は、天正11年(1583年) 真田昌幸(さなだまさゆき) により、上田盆地のほぼ中央の、千曲川とその支流の矢出沢川に守られている地に築かれた平城です。
上田城は、2度徳川の大軍に攻められるがその度撃退して、真田昌幸と上田城の名を天下にとどろかせました。
  

  

「上田藩主の屋敷門と塀跡 」 
上田城の藩主の屋敷であったものを、現在の上田高校の敷地として使用されていて、上田高校正門は藩主の屋敷の正門でありました。
  

「北国街道上田宿」 
真田昌幸が築城した上田城の跡を中心に、鍛治町、紺屋町、鷹匠町など、城下町の名残を伝える町名があり、上田城下は宿場町としても繁栄し、紺屋町、柳町に面影をしのぶことができます。 【JR長野新幹線・しなの鉄道上田駅から約0.5km】
☆北国街道上田宿:保命水  水道の元祖
明治14年柳町の人々が海禅寺から木管を繋ぎ上田初の水道水を引き、水場の「龍の口」から水が流れ出ていたという、柳町と紺屋町の辻に残っています。
  
 



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