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懐古園 (小諸城址)  駅から徒歩橋で結ばれていて 5分。

小諸城の起こりは、平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が現城址の東側に館を築いたといわれています。(小諸の名前も小室から来ています)
その後、室町期にはこの地方の豪族で大井荘(佐久市岩村田)の大井伊賀守光忠が小室氏の勢力をおさえて、長享元年(1487)鍋蓋城を築き、子光為が別名白鶴城(二の丸跡)を構え天正10年(1582)武田氏が滅亡するまで武田の武将が城主であったが武田氏滅亡後、天正18年仙石秀政が入城し、青山・酒井・西尾・松平氏が領し、元禄15年に越後与板より牧野康重が1万5千石で入城し、以後牧野氏が代々小諸城主として明治に至っています。
懐古園は白鶴城や酔月城とも呼ばれた小諸城の址で三の門には徳川家達(いえさと)公筆の「懐古園」の大額が掛かっています。
殆どの城は山の上か高台に建てられているが、小諸は浅間山の裾野の傾斜に位置して坂の町と言われており、城下町よりも最も低い千曲川縁に建てられ、浅間山の火山灰で出来ている谷と丘を利用しているので、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっていて、「穴城」として全国的に珍しいとされています。

苔むした石垣が昔を偲ばされ、どこからか聞こえてくる「佐久の草笛」が一層と物悲しく思える。(普段はBGMが流れていますが、運がよければボランティアさんが草笛の実演と講習をしています。) 
  
左上・・・三の門  中上・・・徳川家達(いえさと)公筆の「懐古園」の大額  右上・・・天守台(落雷で焼失した天守閣は徳川の策で再建されなかった)
左下・・・富士見台(富士山が見える)  中下・・・白鶴城(二の丸跡)  右下・・・黒門・黒門橋址(いざと言う時に橋を崩し黒門を閉じたとされています)

  

千曲川旅情の歌

文豪島崎藤村の千曲川旅情の歌でも知られる信州の名園となっています。
     「小諸なる古城のほとり
         雲白く遊子かなしむ・・・・・」
藤村は小諸義塾の英語、文学の教師として招かれ赴任し「雲」「千曲川のスケッチ」「旧主人」「破壊」などの大作を起稿しています。
左  藤村記念館  左下 藤村小諸時代の代表作「千曲川旅情のうた」詩碑 藤村自筆
中下 藤村胸像   右下 「千曲川旅情のうた」詩碑から見る千曲川


  

小諸義塾

小諸義塾は、明治26年11月、小山太郎等の熱意ある要請にこたえて、明治初年アメリカに渡り留学によって近代の西欧文化を身につけ帰国した木村熊二によって誕生した私塾です。
その後私立中学校認可を得、島崎藤村等を教師陣に加えて充実した中学校教育へと発展しましたましたが日露戦争勃発で国の教育方針と異なり廃校となりました。
左  懐古園内にある「木村熊二」のリリーフ
右  駅と懐古縁を結ぶ歩道橋下にある小諸義塾の跡地の記念碑




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