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長野市周辺 4

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長野市(4):松代        04.1.10 新設
◆ 長野市・松代
真田10万石の城下町として武家屋敷や古寺が点在している。
関ヶ原の戦いで西軍についた「真田幸村」の兄、「信之」が上田城から移り以来、真田家が10代続いき、数多くの史跡を見ることが出来る。
また幕末の天才で開国論者の「佐久間象山」の生誕の地でもある
◆ 案内
上信越道長野ICより10分
長野電鉄河東線「松代駅」下車

■[象山生誕屋敷跡](象山神社脇)

佐久間象山は1811年松代藩士「佐久間一学」の子供で小さい頃から父の手解きで優れた才能は藩主「真田幸貫」に認められていた。 「幸貫」の勧めで蘭学をを学びやがて幕府と朝廷が協力して(公武合体)海外との問題に当たるべきだと主張していたが反論者に暗殺され54歳で生涯を閉じた。

「象山」はここで生まれ蘭学を学び電気応用の治療器や医薬用蒸留器などの製作や開国論者と して日本の夜明けに大きく貢献した。

■[高儀亭] (象山神社境内)

「象山」が「吉田松陰」の密航を手助けした罪に問われ松代に国元蟄居(くにもとちっきょ)を命じられた時、来客時に2階で国家の時勢を論じたと言う来客対応に使用した建物。

■象山地下壕

第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として大本営をここに移す計画で構築したが終戦を迎えている。300万人の住民や朝鮮人を強制動員して人海戦術で多くの犠牲者を出したと言われている。 この様な壕が碁盤の目の様に張り巡らされている。この様な規模のものが3ヶ所あり気象庁の地震観測所として活用されている壕もある。延長10Kmに及ぶ大規模なもので75%の時点で終戦を迎える。

■真田邸

江戸時代末期、9代藩主「幸教:ゆきのり」が母の隠居所として建てた。 庭は2100坪の四季折々の美しさを伝える名園。

■文武学校(国指定史跡)

1853年に完成し松代の文武学校は他藩と違い儒教の教えを排除し近代的学問を目指した学校で文学、東洋西洋医学、軍学、等学問水準は高かったようです。
建物は開校当時の姿をほぼ伝えていて全国的のも貴重な史跡。

■日本電信発祥の地

この鐘楼は「真田信之」が上田城より移り松代城主となった1624年に設けたもの。 ここに1000人の足軽を交代で割番役所を置いた。 この鐘は昼夜別なく一時(2時間)毎に時刻を知らせていた。

佐久間象山が1849年、オランダの書物をもとに電信機を製作しこの鐘楼と70m先の屋敷に電線を張り電信実験に成功した「日本電信発祥の遺跡」です。

■ 松代城址(国の史跡)

川中島合戦の「武田信玄」が築いた城で海津城と呼んでいたが1622年関ヶ原の戦いで西軍についた「真田幸村」の兄の「信之」が上田城から移り松代城と改名し、10代続いた真田家の居城。

95年に着工した松代城整備事業で太鼓門、北不明門(きたあかずもん)が完成し04年の4月から一般公開される。
写真は先ごろ完成した太鼓門


■長国寺

真田家の菩提寺。真田家歴代の墓がある。「信之」と「信弘」の御霊屋があり、「信之」の御霊屋は重要文化財に指定されている。


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