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 10年10月15日
「象山口駅」(ぞうざんぐち)  長野市清野

駅名が江戸時代の武士の「佐久間象山」を思い浮かべるが「佐久間象山」の縁の地は次の松代駅の方が便利。

駅南東に「象山」に近く、昭和の戦争時の大本営計画の象山地下壕は朝鮮人を動員しての構築物。
現在は地震観測所として利用されている。

駅手前の踏切から歴史の街松代へと入って行く。

[象山神社]

松代が生んだ幕末の思想家の、佐久間象山(さくまぞうざん)を祀った神社。
象山が生まれてから29年間を過ごした佐久間象山宅跡、吉田松陰の密航事件に連座の後、蟄居[ちっきょ]の身となった象山が客間・書斎として使用していた高義亭(こうぎてい)、9年の蟄居の後、京に上って構えた家の茶室を移築した煙雨[えんう]亭が境内に立つ。

学問と知恵の神として七五参や初宮参りなど我が子の成長を願いお参りする家族が目立つ。








[象山の教え碑] (象山神社境内)
余年(われとし)二十以後及ち(すなわち)匹夫(ひっぷ)も一国に繋る(かかる)あるを知り
三十以後乃ち天下に繋るあるを知り四十以後は乃ち、五世界に繋るあるを知る
[一国の意味は「松代藩」のこと、天下とは「日本国」のこと、五世界とは「全世界」の意味。
二十歳になったら松代藩のことを思い、30歳になったら日本のことを知り、40歳になったら世界のことを考えられるように勉強をしておく事と言う教えです]



[高儀亭](こうぎてい)(象山神社境内) 
 「象山」が「吉田松陰」の密航を手助けした罪に問われ松代に国元蟄居(くにもとちっきょ)を命じられた時、来客時に2階で国家の時勢を論じたと言う来客対応に使用した建物。




佐久間象山(さくまぞうざん)
象山生誕200年に当たり銅像が象山神社前に建立され除幕が行われたばかり

佐久間象山は1811年松代藩士「佐久間一学」の子供で小さい頃から父の手解きで優れた才能は藩主「真田幸貫」に認められていた。
「幸貫」の勧めで蘭学をを学びやがて幕府と朝廷が協力して(公武合体)海外との問題に当たるべきだと 主張していたが京都で反論者に暗殺され54歳で生涯を閉じた。



[象山生誕屋敷跡](象山神社脇)
 「象山」はここで生まれ蘭学を学び電気応用の治療器や医薬用蒸留器などの製作や開国論者と
 して日本の夜明けに大きく貢献した。
      佐久間象山屋敷址         茶室・煙雨[えんう]亭             生誕の地を示す説明版


象山地下壕
第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として大本営をここに移す計画で構築したが終戦を迎えている。延べ300万人の住民や朝鮮人を強制動員して人海戦術で多くの犠牲者を出したと言われている。
この様な壕が碁盤の目の様に張り巡らされている。この様な規模のものが3ヶ所あり気象庁の地震観測所として活用されている壕もある。延長10Kmに及ぶ大規模なもので75%の時点で終戦を迎える。


象山の周辺
象山神社から象山裾野の神田川に沿って南へ象山地下壕までの1kmの間に真田家縁の武山稲荷や恵明寺無料休憩場などが点在している。
中でも山寺常山邸も人気のあるスポットである。
地震観測所は象山地下壕から約2km南になるが見学が出来ません。この観測所は世界の何処かで原爆の実験を行っても観測が可能な精密な観測所です。


駅周辺

徒歩所要時間
★象山神社象山生誕屋敷 (象山口駅からから30分)
                  (松代駅から20分)

★象山地下壕        (象山神社から15分)





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