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 10年10月15日
「岩野駅」  長野県長野市岩野

千曲市の土口のトンネルを抜けると長野市に入り、間もなく岩野駅に到着

駅の裏山は川中島合戦ゆかりの上杉謙信の本陣の妻女山(さいじょざん)

千曲河川敷の砂地は長芋の産地

春先の春風に乗り砂の竜巻が起き易く春の風物詩として春の到来を告げるその頃、越冬した芋を機械で掘り、種芋を植えつける光景が見える。 

【妻女山】
岩野駅裏 妻女山の上杉謙信本陣跡

上杉謙信が妻女山に陣取り武田信玄の動きを警戒中松代の海津城から上がる炊飯の煙が何時もと違う量であることに気づき、戦いを仕掛けて来ることを読み密かに山を下り雨宮の渡しから川中島八幡原へと移動する。  上杉検診が妻女山に陣を構えたのに対し、武田信玄は初め茶臼山に、後には海津城に入り、両軍はこう着状態になり半月になる。

       雨宮の渡しの方面                      妻女山から見る川中島合戦地                   上信越道付近のの森が海津城・手に取るようによく見える


【きつつき戦法】
武田の軍勢を二つに分け、一隊は、上杉謙信の陣取る妻女山を背後から襲い上杉本隊が下山するのを待ち受け挟み撃ちする、山本勘助得意の「きつつき戦法」を採用した武田信玄であったが、海津城の煮炊きの煙の動きから謙信に見破られてしまう。

上杉軍はたいまつの明かりを本陣に残しあたかも気付いていないが如く本体は密かに、妻女山を下り千曲川雨宮の渡り渡り、二個隊に分けた武田本隊を濃い朝霧で待ち受けていた。

戦国史上最大の死傷者を出す、武田本隊と上杉本隊とが直接対決する大決戦となり川中島合戦の最大の俗に言う「三太刀七太刀」の戦いとなり山本勘助や両軍に大勢の死者を出している。

【謙信の矢尻の泉】

上杉謙信が帰路に付く前に、勝利を導いた妻女山奉られている万の神に感謝に訪れた時あまりにも喉が渇き家来の槍で「水を与えよと」祈りながら地面を突くと泉が湧いたという。
上信道薬師山トンネル入り口脇にある

【特産の長芋栽培】
千曲河川敷の砂地を利用して長芋の栽培が盛ん
長芋は1m〜1.5mも伸び土が硬く石ころなどがあると真っ直ぐな芋に生らないが岩野の河川敷は土が柔らかく栽培に適している。

千曲川をはさんで対岸の篠ノ井東福寺は川中島白桃の栽培が盛ん。

◆駅周辺


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