「中世の山城 荒砥城」 (2)
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■荒砥城城跡
  現在主郭には館、兵舎、二の郭には櫓、兵舎、その他に門、石垣などが復元されており、二の郭兵舎は映像、展示室になっていて、荒砥城の歴史の観光などを案内しています。
 残念なことに以前遊園地や動物園に使用していたことがあり当時の遺構は削られた為に、破壊されてしまったようです。
復元された荒砥城を中心に、尾根続き上部の若宮地籍と城腰(じょうよう)地籍の居住館の上部に支城があり、可也の規模を持つ複合型城郭であったようです。
有事の際に、周囲の山城に立てこもっている兵士が挟み撃ちにする仕組みになっていたようです。
 平常時には城の建設されている尾根に囲まれた上山田城腰地籍の平地に居住館が有りそこで「政事(まつりごと)」を行っていたとされています。



■ 陣鐘が数個出土していると言う
 陣鐘は出陣などの折に兵士の指揮を高めたり作戦の伝達のために使われたと言う

参考資料:荒砥城祭りに演奏の「矢代一重山太鼓」の 陣鐘
「矢代一重山太鼓」は屋代城の膝元に伝わる陣太鼓で荒砥城も屋代氏が城主となった事があるのを縁に毎年演奏

■荒砥城城跡の記念碑と三の郭に通じる回廊
1度に大勢の敵が入り込まないように通路は狭く設計され上から矢の雨を浴びせる構造


■ 四の郭
最初の敵を打つエリアで建物は無い

■ 三の郭
高い城壁に囲まれた通路で真上から狙い撃ちが出来る仕組みになっています。要所要所にいくつかの門があり矢倉門の構造で門を閉め挟み撃ち状態にして窓から矢を打ち込むことが出来ます。





二の郭から三の郭に入った矢倉門                       残る城壁石積み 



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