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 南部(4) さらしなの里

■冠着山(かむりきやま・1252m)

冠形の峰を大空にそびえ立たせた美しい展望の山であり、別名姨捨山、更級山といい町のシンボルとなっている。
月の照る美しい山として古くから文学の山でもあった 
神代の昔「天の岩戸」を背負って天翔けてきた「手力男命」(たじからのおのみこと)がこの美しい峰にひかれてここで一休みして冠を着けなおしたという伝説のある山。
「姨捨」伝説の山でもあり万葉集にも多く読まれている。 
冠着山・「ほこ抱き岩・登山道」から見る善光寺平

■「さらしなの里」と姨捨伝説
信濃の国更級の郷(戸倉・更級地区)に一人の若者が住んでいました。若者は養ってくれた伯母を母のように慕い、大切にしていました。ところがこの国の殿様は、年寄りが大嫌いで、「六十歳以上になった者は山奥に捨てよと」と、おふれを出していました。伯母も七十歳になってしまい、若者は泣く泣く背負って、姨捨山に捨てたのでした。けれども、後ろ髪がひかれ一人で帰る気になれません。  若者はそっと引き返し、老婆を背負って帰えりましたが、道に迷ってしまいました。すると老婆は「おまえが道に迷わないように、小枝を折ってあるからそれを目印に歩きなさい。」と教えてくれましたので、無事帰ることができました。誰にも分からぬように匿っていました。殿様は隣の国から難題を仕掛けられ「灰の縄を献上しなければ攻め入る」困った殿様は「灰の縄を見事に作った者には、褒美を取らす」と里人におふれを出した。若者は、早速老婆に相談すると「縄に塩をたっぷりと染み込ませ蒸し焼にすると良い」と教えてくれました。それを持っていくと殿様は感心した。「ご褒美はいらないから老人を捨てることをお許し下さい」と、殿様に一部始終を話しお願いをすると、それからは経験の尊さを知り、老人を大切にしたそうです。  淺川かよ子著「更級埴科の民話」参照

■「さらしなの里」フラワ−パ−ク

フラワーパーク事業は、休耕田の有効活用と農業を通じて、 地域住民の交流を深め、潤いのあるまちづくりを目的としています。  更級地区集団転作地約2haを活用し、品種改良された大輪コスモス、ケイトウなどが咲き乱れ、その風情は、訪れる人たちにしばし都会の雑踏を忘れさせてくれます。  花の種は、町が購入し、地元耕作者に栽培を委託し、7月にまかれた種は丹精こめて育てられ、見事な花畑が一面をおおいつくします。  開設期間は9月中旬から10月下旬までで、10月上旬には「フラワーまつり」が開催されます

■「さらしなの里」古代体験パ−ク

約4,500年前の縄文時代の集落と遺物に出会えるところ。町内出土品は資料館に展示され、石器、土器作り等の体験学習も楽しめる。毎年10月末には、「さらしなの里縄文まつり」が行われ、イノシシ、サケ、キビなどの縄文の食生活が再現される
背景の山は冠着山(姨捨山)


■「更級の郷社」佐良志奈神社(さらしなじんじゃ)

西暦433年頃允恭天皇(第19代)の創建とされ、古代王朝時代には、佐良志奈神社は、更級の里「郷」を仕切っていた郷社としての余光として、地元からは「若宮様」と呼ばれ親しまれている。
かつて志賀直哉も訪れたことがあり、著作「豊年蟲」にも記述されている。
境内と境内を取り巻く山には「カタクリ」の群生があり平地でも見る事が出来るためシーズンには大勢のカメラマンが訪れる。

※豊年蟲=オオシロカゲロウ  佐良志奈神社の鳥居付近の千曲川大正橋の街灯にオオシロカゲロウの群生飛来を見ることがあり散歩に来た「志賀直哉」が見たと思われます。大量発生した年は豊年になるとされ豊年蟲と呼ばれています。

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