「街道の宿場町」 海野宿・望月宿 探訪(1)
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    04.9.1 更新      次回更新予定 04.10.1      撮影:8月24日

                                                  海野宿
◆北国街道 海野宿

◆東御市(とうみし)
東御市は、小県郡東部町と北佐久郡北御牧村の2町村が合併して、平成16年4月1日に誕生しました。長野県の東部に位置し、北の上信越高原国立公園の「湯の丸高原」は、レンゲツツジの大群落、コマクサ、アヤメ、マツムシソウなど、多種類に及ぶ高山植物の宝庫で南は蓼科、八ヶ岳連峰の雄大な山なみに囲まれた豊かな風土と歴史に恵まれた市です。
古くから馬の産地として知られ、平安時代の信濃御牧(官牧)十六牧の中でももっとも貢馬が多かったと伝えられており、中世には東信地方一帯を支配してきた海野氏をはじめ、望月氏、布下氏、諸沢氏が統治してきた。日本の道百選に選ばれた北国街道海野宿は江戸時代の面影を残し、現在では観光の要所となっている。

◆海野宿(うんのじゅく)
海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中仙道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くあり、たいへん栄えた宿場でした。
海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。

◆海野宿への案内

しなの鉄道「田中駅」下車 徒歩20分

上信越自動車道「東部・湯の丸IC」より、西に約20分。



◆海野宿の建造物の特徴
卯建(うだつ)
建物の両脇に壁を一段高く上げ小屋根をつけたものを「本うだつ」と言い、江戸時代の防火壁の役割を果たしていた。
明治になり1階の屋根の上に張り出し装飾を兼ねた袖壁が設けられた。「袖うだつ」という
「卯建」は富裕の家でなければ上げる事が出来なかったので「うだつがあがらぬ」の語源になっています。
本うだつ                          袖うだつ
 

海野格子と出桁造り(でげたつくり)
格子戸のはまった家が続いているが一階の格子は明治になり造られ二階の格子の多くは、出格子となっていて、長短2本が交互に組まれ海野宿特有の美しい模様を織り成し、江戸時代から伝われている。「海野格子」と呼ばれている。
海野格子                       海野格子と出桁(2階)
 




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